仕事に対する情熱というものがあるかというとあまりない。これはお金に対する執着がないせいかもしれない。裕福な家に生まれたわけではない。その証拠と言えるかはわからないが、大学の学費はすべて自腹だ。奨学金をあと10年以上返し続けないといけない。もっと学費の安い大学にすればよかったと今でも後悔している。さて、どういうわけかお金に対する執着がない。もちろん、お金があったらいいなとは思うくらいだ。海外旅行が趣味だったころには今よりお金に執着してた。当時はいまより飛行機は高かったし、とにかくあちこちに行きたかったのでお金も時間も全然足りなかった。そう考えると、今のお金に対する執着のなさは趣味のなさに繋がっている気がする。爬虫類を飼い始めてからお金を使うようになったのは確かなのだが、これも無理をして高価な個体が欲しいとか、モルフにこだわろうという感覚はないから、せいぜいが家計に無理のない範囲だ。しかも子どもがいるわけではないので、お金に困っているということもない。そう、子どもがいないというのも理由のひとつかもしれない。金が掛かる趣味がないのだ。もちろん、趣味なんてお金を掛けようと思えばいくらでも掛けられるのだから、その趣味に対して、のめり込むほどの情熱がないといえるかもしれない。そう思うと少し寂しくなる。海外旅行熱は一昨年再燃したのだが、あいにくコロナで強制的な下火になった。あのままであればもう少しお金を貯めようとか稼ごうという気持ちになったかもしれないのだが。
周りの人を見ていると結構熱の入った趣味を持っている人が多くて驚く。そういうのを見ていると当てられることがある。そういうときになぜ自分に趣味が少ないのかふと思い当たるのだ。不器用で、音感とリズム感が絶望的で、運動神経は人並み以下なので、エンターテイメントな趣味と相性が悪いことに嫌でも気がつかされてしまうのだ。そういう自分とようやく折り合いをつけてなんとか今の自分を受け入れているのに、趣味を探して、あの頃に逃げた自分に向き合わされてしまうのは喜劇と言わずなんといえばいいだろう。
大人になったのだから食わず嫌いで生きていいはずだと思う。楽器を弾かなくていいし、ダンスを踊らなくていい、サッカーも野球もやらなくていい。やりたくてもできないなんて言い訳だ、やりたいならやればいい、そんな言葉はニーチェみたいな強者だけが言える言葉で、ぼくら(らと呼べるような仲間を知らないけど)は卑屈に楽しく生きていけばいいと思う。別にわたしはわたしの卑屈さをそんなに嫌っていない。誰からも好かれない自分くらいは自分が好きになってやらなくちゃ、なんて子どもの頃に思ったのだけど、思い返してもなかなかのひねくれっぷりだ。どうりで友達がいないわけだ。わたしの趣味のなさは、こうやって友達がいない自分を肯定して生きてきたことに所以があるのかもしれない。
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仲が良さそうでうらやま、、、